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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)4019号 判決 1962年11月19日

判   決

原告

日本住宅用地株式会社

右代表者代表取締役

原利郎

右訴訟代理人弁護士

秋山昭八

被告

ホンダ製菓株式会社

右代表者代表取締役

誉田唯雄

被告

北村三郎

右両被告訴訟代理人弁護士

伊達利知

溝呂木商太郎

伊達昭

藤井正博

右当事者間の損害賠償請求訴訟事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

一、被告らは各自、原告に対し金五四八、四七五円及びこれに対する昭和三五年四月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを五分し、うち三は被告らの連帯負担としその余は原告の負担とする。

四、この判決は第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告らは各自、原告に対し金九一九、一二五円及びこれに対する昭和三五年四月二五日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として

一、昭和三四年一二月二一日午前一時四〇分ころ、川越市通町一、二六八番地付近の交叉路上において、南北に通じる川越東京県道を、北方から南方に向つて進行中の、当時原告の使用人であつた訴外渡辺英世の運転する原告所有の乗用自動車(オースチン五九年型五や八八四七号。以下原告車と称する。)と、東西に通じる道路を東方から西方に向つて進行中の被告北村の運転する貨物自動車(埼1す一、二七二号。以下被告車と称する。)とが衝突し、原告車は破損した。

二、本件事故は、被告北村の過失によつて生じたものである。すなわち、原告車が進行した川越東京県道は、普通川越街道と呼ばれ、被告車の進行道路に対し道路交通取締法にいう優先道路であるが、原告車はこの川越街道を時速約四十二、三粁の速度で進行していた。他方告告車の進行していた道路は事故現場で川越街道とほぼ直角に交叉しているが、川越街道より幅員が狭く、事故現場の交叉点に進入する直前の箇所に一時停止の標識が設けられている。従つて、この道路から交叉点に進入する車輛等は、必ず一時停止をしなければならないばかりでなく、より広い川越街道に入る前に徐行し、警笛を鳴らし、又は、ライトを点滅するなどして相手車輛に十分の注意を与え、交通の安全を確認してから交叉点に進入すべき義務がある。しかるに、被告北村は全くこの注意義務を怠り、一時停止も徐行もしないばかりか、時速六、七十粁の速度でこの交叉点に進入したため、本件事故を惹起したものである。

三、被告北村は、右の不法行為者として、また被告会社は、被告北村の使用者で北村が被告会社の業務の執行中に本件事故を惹起したものであるから、被告らは連帯して本件事故によつて原告が受けた後記の損害を賠償すべき義務がある。

四、原告が受けた損害は次のとおりである。

1、原告車の破損による損害金六五九、一二五円。

但し、原告車は、昭和三四年六月一八日に購入し、本件事故当時までの走行粁数は約五、六百粁であつたから、当時の価格は金七〇九、一二五円であつたところ、本件事故のため修理不能になつて金五万円で売却したので、その差額金である。

2、原告車の使用が不能になつたため、原告がタクシー等を利用したことによつて出費を余儀なくされた損害金二六万円。

但し、昭和三四年一二月二二日から同三五年二月一五日までの間の、実働日数五〇日、一日平均六、五〇〇円の割合による合計金三二五、〇〇〇円から、原告車使用のための諸経費合計六五、〇〇〇円を控除した金額である。

五、そこで右損害金の合計金九一九、一二五円と、これに対する損害発生の日の後である昭和三五年四月二五日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める、と述べ、被告らの抗弁事実を否認し、

立証(省略)

被告ら訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として、

一、請求原因第一項記載の事実は認める。

二、同第二項記載の事実中、原告車の進行道路が本件事故の交叉路で優先道路であり、被告車の進行路上に原告主張のとおり一時停止の標識が設けられていることは認めるが、その余の事実を否認する。

被告北村は、一時停止の標識に従い、川越街道に進入する前で一時停止をし、左右の安全を確認したうえで、時速四粁ないし五粁の速度で同街道に進入したのである。しかるに、原告車の運転者である訴外野口は、交叉点を通過しようとするときは徐行し、左右の安全を確認してから通過すべき義務があるのにこれを怠り、時速七、八十粁の速度で右交叉点に進入した。また、優先通行権のある道路を進行している車輛でも、すでに他の道路から交叉点に入つた車輛がある場合にはその優先権は認められないのみならず、すでに交叉点に入つた車輛の進行を妨げてはならないことは、法令に明規されているのであるが、本件の場合原被告両車の前記のような速度の差からみて、被告車は原告車より先すでに交叉点に入つていたのであるから、原告車には優先通行権はなく、かえつて右避譲すべき義務に違反した。従つて、本件事故は、訴外渡辺の過失によつて生じたもので、被告北村には何らの過失もなかつたのである。

三、請求原因第三項記載の事実中、被告会社が被告北村の使用者で、本件事故は、同北村が被告会社の業務の執行中に起つたものであることは認めるが、その余は争う。

四、同第四項記載の事実は争う。原告車は、ニツサン・スタンダードでその新車価格は金八五万円であるから、ニツサンデラツクスの価格に基づく原告の損害金の算出は不当である。またの損害については、同損害は、特別事情に基づくものというべきところ、この事情は被告の予見し又は予見しうべかりしものとはいえないから、被告において賠償すべき責任がない。仮りにそうでないとしても原告車は従来の走行粁数からみて一日平均三〇粁を走行するにすぎず、この実働日数五〇日分は一、五〇〇粁である。そして、タクシー代は一粁について金四〇円であるから、その一、五〇〇粁の料金は金六万円にすぎない。と述べ、抗弁として、仮りに本件事故について、被告北村に一部の責任があるとしても、当時原告の使用人で原告車の運転者である訴外渡辺に過失のあつたことは前記のとおりであるから、損害賠償の額を算定するについてこれを斟酌することを求める。と述べ、

立証(省略)

理由

一、昭和三四年一二月二一日午前一時四〇分ころ、川越市通町一、二六八番地付近の交叉路上において、南北に通じる通称川越街道を北方から南方に向つて進行中の、当時原告の使用人であつた訴外渡辺英世の運転する原告所有のオースチン五九年型乗用自動車(五や八八四七号)と、東西に通じる道路を東方から西方に向つて進行中の被告北村の運転する貨物自動車(埼す1一、二七二号)とが衝突し、原告車が破損したことは当事者間に争いがない。

二、(証拠―省略)を総合すると、本件事故現場は、歩車道の区別のない幅員七米で一直線に南北に通じる川越街道に、東方の川越市大仙波方面から西方の同市脇田町方面に一直線に通じる歩車道の区別のない幅員一一、五米の砂利道(東側)と七、九米(西側)の道路が直角に交叉する十字路であつて、交叉点の北東の角が訴外小野沢徳次郎の住家になつているため、東方及び北方からこの交叉点に進入する車輛等は、自車の進行する道路上の見通しは非常によいが、互いに相手車を見通すことは困難な場所であること、この交叉点の東側道路が広くなつているところから、交叉点における交通の円滑と危険を防止するため埼玉県公安委員会によつて東西の道路を一時停止すべき場所に指定され、交叉点の東西の入口にそれぞれ「一時停止」と標示した標識が設置されていること(被告車の進行路上に一時停止の標識が設けられていることは当事者間に争いがない。)、川越街道の制限時速は、高速車が四〇粁、低速車が三五粁であること、夜半における現場付近の交通量は少いこと、本件の衝突地点は、川越街道のほぼ中央(同街道の車側の線から三、五米)で、東西に走る道路のやや北寄りの交叉点上であること、その付近から西南方に向つて被告車の車輛がずれて生じた長さ約四米の痕跡が路上に印されていたが、その他路面にはブレーキをかけたと思われるスリツプ痕は認められなかつたこと、被告車は、その進行方向に向つて(以下同じ)右側のドアー付近を交叉点の西南の角にある訴外佐藤治作の住家の角に接し、その前部を川越街道上に後部をほとんど西側の道路上にして斜めに停車し、しかも右側のドアーは弓状に曲つて半開きの状態であり、前部右フエンダーは大破していたこと、右佐藤方の東北隅の柱は折れ、その付近のガラス戸等も大破されていたこと、原告車は、西側の道路上にその左前部を被告車の右後輪付近に接し、佐藤方の北側の線と車体を平行にし、しかも車体の右側を同所の電柱に接着して東向きに停車し、前部フエンダーは大破し、車体左側には後部から前部にかけて著しいすり痕があり、左側ドアーの把手はもぎ取られていたこと、原告車の前部フエンダーの破損は、左前輪の上部付近が殊に著しく、喰い込まれたように凹損し、そのため車体前部が全体として右に歪曲し、エンジンも破損して運行不能の状態であつたこと、本件事故発生当時、被告車は仙台市から川越市内の被告会社への帰途で、荷台には千本余りの煎餅の空鑵が積載してあつたので、被告車の当時の重量は約六、〇〇〇瓩であつたこと、他方原告車は、現場から約一粁離れた原告会社の役員宅から東京への帰途で、車輛総重量は、一、三八〇瓩であり、運転席は右側であること、当時原被告両車とも前照燈を点じて走行していたこと、本件衝突事故によつて原告車の運転者渡辺は車内のバツクミラーに左額を打ち付けて負傷した他、左側背部及左膝関節部に打撲傷を受けたこと、これらの事実が認められる。右認定に反する証拠はない。

右の事実、なかんずく、原告車の破損箇所とその状況及び程度、原告車の運転席と車内のバツクミラーの位置関係及びこれと訴外渡辺の受傷の部位との関係等から、(1)本件衝突は、原告車の左前輪の上部付近に、被告車の右前部が激しく衝突したもので、しかも、原告車のエンジンはその直後に停止したことが推認できるし、被告車が停車時に右側のドアーが半開きになつていたこと、同車の前部が大破していること、及び原被告両車の停車位置等から(2)訴外佐藤方住家の損壊は被告車の右前部が激突したために生じたもので、その衝撃力は同家東北隅の柱を折損するに足りる激しさであつたことが推認できる。更にこれらの事実と、路面に残された被告車の車輪のズレた跡や、原告車の左側の傷痕及び原被告両車の重量の相違等を併せ考えると、(3)被告車は、原告車と衝突直後両車の進行方向を二辺とする矩形の対角線である訴外佐藤方の方向に向つて斜行し、その右前部が同家の東北隅に衝突するや、本来の進行方向である西方に向う惰力から車体の後部が右に廻転し、被告車との衝突によつてエンジンが停止した儘、被告車の右側に左側を接して惰性で遅れがちに併進していた原告車の左側を強くすりながら、これを右方向に押しやる結果となつたため、軽量の原告車は、被告車の右後輪付近に付けた車体前部を軸として後部を右方向に大きく転じ前示認定のような位置形状で停車するに至つたものと推認されるし、またこの事実から逆に(4)佐藤方に衝突するまでの被告車の前進しようとする力が強力であつたことが推認できる。右(1)の認定に反する乙第一号証の七の記載及び被告北村本人の供述部分は採用できず、他に(1)ないし(4)の認定を覆すに足りる証拠はない。そしてこれらの事実から被告車の原告車と衝突した当時の速度は、衝突地点から僅か三、五米しかない交叉点東側若しくはその一米位手前において一旦停止をしてから発進した速度、すなわち被告らの主張する時速四、五粁の速度とは到底考えられず、この事実と(中略)の各記載を併せ考えると、被告車は、この交叉点に進入する際一時停止をせず、時速二〇ないし三〇粁の速度を持続した儘交叉点内に進入したものと推認できるし、また、被告北村において、この交叉点に進入する際、川越街道上の安全を確認したならば、一直線の同街道上を前照燈を点じて進行してくる原告車を認識できない道理はないから、同被告は左右の安全の確認もしなかつたものと認めざるを得ない。(中略)他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

次に成立に争いのない甲第二、三号証によると、原告車の運転者である訴外渡辺は、本件事故当時時速約四十二、三粁の速度で進行し(この点は原告の自陳するところである。)、事故現場の交叉点を認識しながら、夜間で他車の通行もないところから警笛も鳴らさず、徐行しないでその儘進行したこと、自車の進行路上に左方から直角に照射された筈の被告車の前照燈の光も、衝突寸前まで認識しなかつたことが認められ、この認定に反する甲第一号証の記載部分は採用し難く他に右認定に反する証拠はない。

元来、自動車を運転して交叉点を通過しようとする者は、一時停止をすべき箇所と指定された場所では必ず停車し、左右の交通の安全を確認してから交叉点内に進入すべき義務があり、他方一時停止の義務を課せられていない側の運転者も、制限速度を遵守すべきことはもちろん、前方を絶えず注意し、本件事故現場のように見通しの悪い交叉点に差しかかつた場合は、あらかじめ、警笛を鳴らして相手車に注意を与え、徐行していつでも急停車のできる状態で進行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務がある。自動車の運転者がこれらの義務に違反すると、本件のような衝突事故が発生する虞れのあることは、自動車運転者において知り、又は運転者としてなすべき注意を怠らなかつたなら当然に知ることができた筈である。しかるに、被告北村は、すでに認定したように運転者として守らなければならない義務を怠つて、本件事故現場の交叉点に進入する前、一時停止もせず、また左右の安全も確認しないで時速二〇ないし三〇粁の速度の儘交叉点に進入したことが本件事故発生の一因であることは疑いを容れないので、本件事故は同被告の故意又は少くとも過失が原因の一つとなつていることは明らかであるが、他方、訴外渡辺も運転者としての前記注意義務に違反し前示認定のとおり、交叉点の存在することを知りながら、夜間で他の通行車もなかつたところから警笛も鳴らさず、徐行もせず、しかも前方注視不十分の状態で制限速度を超える時速四十二、三粁の速度の儘進行したため、交叉点上において被告車と衝突するに至つたものであるから、本件事故の発生は訴外渡辺の故意又は少くとも過失に基づくことも明らかである。原告は、原告車が進行した川越街道が、被告車が進行した道路に対し優先道路である旨主張し、この事実は当事者間に争いがないが、優先道路を進行する車輛でも、すでに他の道路から交叉点に入つた車輛があるときは、その進行を妨げてはならないことは被告らの主張するとおりであり、本件において、原告車よりも被告車が遅れて交叉点に入つたという証拠はない。また、被告らは、本件事故の発生は、原被告両車の速度の差からみて、被告車が原告車より先に交叉点に入つていたにもかかわらず、訴外渡辺が右の避譲すべき義務に違反したことに基因する旨主張する。しかし、被告北村が一旦停止の義務等を怠つて交叉点に進入した本件においては、仮りに被告車が先に交叉点に入り、訴外渡辺に避譲すべき義務の懈怠があつたとしても、それによつて被告北村の過失の存否に何らの消長をきたすものではないし、訴外渡辺の過失の軽重を考えるうえでも、被告北村においてその義務を違えず一旦停止を履践していたならば同訴外人に避譲すべき義務を生ずるような状況にはならなかつたとも考えられるから、殊更にこれを重大視することはできない。

三、被告会社は、被告北村の使用者で、本件事故は同被告が、被告会社の業務の執行中に生じたものであることは当事者間に争いがないから、本件事故は、被告会社の事業の執行につき生じたものというべきである。従つて本件事故のため原告の受けた損害については、原告の使用人であつた訴外渡辺の過失が競合して生じたものにしても、被告らにおいて連帯して賠償すべき責任があるものといわなければならない。

四、そこで、本件事故の発生によつて原告の受けた損害についてしらべてみる。

1、(証拠―省略)を総合すると、原告車は、昭和三四年六月一八日代金一、一九五、五〇〇円で購入し、本件事故発生当時までに五、九七五粁を走行しているが、当時少くとも原告が主張する金七〇九、一二五円に相当する価値は十分もつていたこと、同車は本件事故によつて修理不能の状態に破損したため、昭和三五年一月二六日スクラツプとして他に売却されたことが認められ、差引原告は、金六五九、一二五円の損害を受けたことが認められる。(中略)他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

2、証人(省略)の証言によると、原告は、本件事故発生後被告会社と示談の交渉を進めたが容易に妥結しないため、約五〇日後に新車を自費で購入したが、その間原告車の使用が不能のため、毎日タクシーを利用し、折から多忙な年末年始に当つたので一日平均六、五〇〇円合計三二五、〇〇〇円の運賃の支払を余儀なくされたことが認められるが、他方原告は、その期間原告車を使用することによつて必要とするガソリン購入代その他の経費約七万円の支出を免れたことが認められるから、これを右のタクシーの運賃から控除した残額二五五、〇〇〇円が原告車の使用不能のため原告が受けた損害である。被告らは、原告のこの損害は、いわゆる特別事情である旨主張するが、右は自家用自動車である原告車の破損に伴つて通常生ずべき損害と解すべきであるから、被告らの主張は採用しがたい。また被告らは、原告車の本件事故前の一日平均の走行粁数から五〇日間の走行粁数を算出し、これをタクシーの一粁当りの運賃に乗じた金額がこの損害額である旨主張するけれども、それはあくまでも事故発生前の平均値であつて、前示証拠によつて損害を認定できる本件においては採用しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

五、してみると、原告は、本件衝突事故によつて合計金九一四、一二五円の損害を受けたわけであるが、右衝突については、当時原告の使用人であつた訴外渡辺の過失もその一因となつているのであり、しかも、同訴外人の過失と被告北村の過失とは、すでに認定した事実からして本件事故発生について前者が二、後者が三の割合の原因力を有するものと解するのが相当であるから、右損害中被告ら各自に賠償の責を負わせる範囲は金五四八、四七五円をもつて相当とする。従つて、被告ら各自に対し、右金五四八、四七五円とこれに対する損害発生の日の後である昭和三五年四月二五日から完済に至るまでの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分については原告の本訴請求は正当であるが、その余は失当として棄却すべきものである。

よつて、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項但書、仮執行の宣言については同法第一九六条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第二七部

裁判官 羽 石   大

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